「記述」のない国語教育の珍妙さ。

2007/05/13 00:01

 

 2007年5月11日(金)付 日本経済新聞社夕刊の「クラスルーム
欄に「学力テスト 覚悟迫られる教育現場」(学校研究会)という記事が
掲載されている。
 教師の立場から、例の「学力テスト」を論じたもので、非常に違和感
のある内容
となっている。

 小学校や中学校を卒業して、私も既に20年近く経っている。
教育現場の最前線で生の空気を感じて論じることはできないが、
↓「大丈夫か日本語」という産経新聞社海老沢記者の記事が、大きな
話題となった時にも、改めて原因は「国語教育にあり」という思い
を強くした。
http://yuki-noshirosa.iza.ne.jp/blog/entry/162261/

しかし、肝心の教育の実態まではさすがに分からず、もやもやと
したものを抱えていたが、この記事を読んで国語教育の明らかに頓珍漢
な!?実態が浮き彫りになっていると感じた。


(以下要約して引用)
---------------------------------
●今回の学力テストでの問題は国語Bと算数B。どちらも記述式の問題が多い
のである。しかもそれなりの知識がないと書けない「記述式」なのである。
●思考力を重視した問題の最たるものであろう。知識だけ知っていても、書き表し
方が正しくないと正解にならない。書くことが上手でも、知識が間違っていれば
正解にならない。
●だがこんなタイプのテスト問題は、少なくとも今回はほとんどの子がやったこと
がなかった。
●現場では、このタイプの問題を解けるようにする指導(訓練)が行われていない
からだ。
●今後もこのテストを続けていくのなら、指導体系を一変しなくてはならない。
大半の教師は、その指導には対応できない。教科書や指導書のパターンも大幅
に変更が必要になるが何よりも私達教師が、指導方法を身につけないといけない
と思った。
---------------------------------

???

違和感だらけではないだろうか。国語で記述のない指導など、水の入って
いない水槽で魚を泳がせるようなものである。

そもそも国語は

「答えはあるが正解のない学問」

である。もちろん漢字の読み書きなど正解が算数と同じくがっちり決まっている
ものもある。あるにはあるが、やはり端的に言えば文学作品や名文と言われる
文章、詩、俳句、短歌などを読み、作者が何を意図して書いているのか、その
行間を多面的に感じ取り、自分なりの考えを表現していく。それが国語である。
作者と文章を通して対話する。

「記述すること」なしに語れない。

確かに私が高校生の頃は「マークシート」も流行り出し、選択するものが多くなって
はいたが、それでも小学校の時からたくさん作文は書かされたし、的外れでもいいから
自分の意見を書く、表現することの重要さを教え込まれてきた。
作者はそう思っていないかもしれないが、「自分がそう思った、感じた」個性は尊重
してもらえていたように思う。

「ドラゴン桜」で東大に入るための「テクニック」が脚光を浴び、国語に
ついても、「いかに点をとるか」、その一面が強調されているが、ドラゴン桜をちゃんと
読むと、教育とは「=日常生活」という理屈が最初から最後
までビシッと貫かれている。

例えば算数に強い子は、総じて小さい頃から1人で買い物に行かされ、おつりの
計算をしたり、日常生活の中で無意識に蓄積された学力の基礎がある。
部屋に篭っていわゆる「勉強」だけをしてきた子供よりも、料理を手伝ったり、
両親と新聞を見たり、テレビを見たり、食事をしながら多く語り合っている子の
方が、皮肉にも圧倒的に「勉強」もできる。

「型」としての勉強ではない。
「本質」としての学習が重要なのだ。


指導方法やパターンなどに捉われ、教師にその技術が備わっていないと今更
「覚悟を迫られる」教師の思い違いに愕然としてしまう。


活字離れも、大丈夫か!?と思わず嘆く「日本語」も突然変異で、今の若者たちが
抱え始めた問題ではない。
「教育の成果」と考えるのが自然である。教師が「反面教師」としてしか教育でき
ないのであればあまりに寂しすぎるというものだ・・・。

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